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最高裁判所第三小法廷 平成元年(行ツ)68号 判決 1990年6月05日

上告人 植田肇

同 熊野実夫

同 川端悦子

同 伊集院勉

同 小坂静夫

同 井上鶴彦

同 株式会社岩崎経営センター

右代表者代表取締役 岩崎善四郎

右七名訴訟代理人弁護士 吉川実 辻公雄 松尾直嗣 桂充弘 阪口徳雄

被上告人 岸昌

同 桝居孝

同 中川淑

同 川上勇

同 岡崎義彦

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人吉川実の上告理由について

地方自治法(以下「法」という。)二四二条一項は、普通地方公共団体の住民は、当該普通地方公共団体の執行機関又は職員について、財務会計上の違法若しくは不当な行為又は怠る事実があると認めるときは、これらを証する書面を添え、監査委員に対し、監査を求め、必要な措置を講ずべきことを請求することができる旨規定しているところ、右規定は、住民に対し、当該普通地方公共団体の執行機関又は職員による一定の具体的な財務会計上の行為又は怠る事実(以下、財務会計上の行為又は怠る事実を「当該行為等」という。)に限って、その監査と非違の防止、是正の措置とを監査委員に請求する権能を認めたものであって、それ以上に、一定の期間にわたる当該行為等を包括して、これを具体的に特定することなく、監査委員に監査を求めるなどの権能までを認めたものではないと解するのが相当である。けだし、法が、直接請求の一つとして事務の監査請求の制度を設け、選挙権を有する者は、その総数の五〇分の一以上の者の連署をもって、監査委員に対し、当該普通地方公共団体の事務等の執行に関し監査の請求をすることができる旨規定している(七五条)ことと対比してみても、また、住民監査請求が、具体的な違法行為等についてその防止、是正を請求する制度である住民訴訟の前置手続として位置付けられ、不当な当該行為等をも対象とすることができるものとされているほかは、規定上その対象となる当該行為等について住民訴訟との間に区別が設けられていないことからみても、住民監査請求は住民一人からでもすることができるとされている反面、その対象は一定の具体的な当該行為等に限定されていると解するのが、法の趣旨に沿うものといわなければならない。さらに、法二四二条一項が、監査請求は、違法又は不当な当該行為等があることを証する書面を添えてすべきものと規定し、同条二項が、監査請求は、当該行為のあった日又は終わった日から一年を経過したときは、正当な理由があるときを除き、これをすることができないと規定しているのは、住民監査請求の対象となる当該行為等が具体的に特定されることを前提としているものとして理解されるのである。

したがって、住民監査請求においては、対象とする当該行為等を監査委員が行うべき監査の端緒を与える程度に特定すれば足りるというものではなく、当該行為等を他の事項から区別して特定認識できるように個別的、具体的に摘示することを要し、また、当該行為等が複数である場合には、当該行為等の性質、目的等に照らしこれらを一体とみてその違法又は不当性を判断するのを相当とする場合を除き、各行為等を他の行為等と区別して特定認識できるように個別的、具体的に摘示することを要するものというべきであり、監査請求書及びこれに添付された事実を証する書面の各記載、監査請求人が提出したその他の資料等を総合しても、監査請求の対象が右の程度に具体的に摘示されていないと認められるときは、当該監査請求は、請求の特定を欠くものとして不適法であり、監査委員は右請求について監査をする義務を負わないものといわなければならない。

これを本件についてみると、原審の適法に確定したところによれば、(1)  上告人らの所属する市民オンブズマンと称する民間の団体は、その活動の一環として、昭和五七年一二月に大阪府議会決算特別委員会で問題となった大阪府水道部の会議接待費等の不正支出について、大阪地方検察庁に告発をし、また、住民監査請求を経た後、三件の住民訴訟(第一審判決添付の違法支出行為内訳表(一)ないし(三)記載の支出等を対象とする。)を提起するなどしていた、(2)  昭和五九年二月三日付の毎日新聞は、「架空接待五〇〇〇万円超す」等の見出しで、大阪府水道部において不正に支出された公金は、昭和五五年から同五七年までの三年間で、市民オンブズマンが大阪地方検察庁に告発した額の二〇倍である五〇〇〇万円以上にのぼり、架空接待は、大阪府水道部の四課のうち、会計課を除く総務、浄水、工務の各課で、会議接待費が予算を超過すると、工事諸費等の名目で行われていたなどと報道した、(3)  上告人らは、昭和五九年三月二日、大阪府監査委員に対し、右新聞に報道された会議接待費等の支出に関し、違法な支出を証する書面として右新聞の記事を添付して監査請求(以下「本件監査請求」という。)を行った、(4)  上告人らが提出した監査請求書には、「元大阪府水道企業管理者桝居孝、元同水道部長中川淑、元同川上勇、元同総務課長岡崎義彦ら、昭和五五年度から同五七年度までの間に水道企業管理者、水道部長、同総務課長の職にあった者は、右各年度において、名義を仮装し、会議接待を行ったとして、会議接待費又は工事諸費の名目のもとに、三年間で五〇〇〇万円以上の金額を不当に支出し、又は部下の不当支出を決裁した。大阪府知事岸昌は、財産管理について通常必要な注意を怠って、右の行為が反復して繰返されているにもかかわらず、これを放置し、大阪府及び大阪府民に対する損害を防止するための処置をとらなかった。」と記載されていた、というのである。右事実によれば、本件監査請求の対象とされている行為は、大阪府水道部の総務、浄水及び工務の各課における昭和五五年度から同五七年度までの三予算年度にわたる会議接待費等の名目による複数回の公金の支出であることが理解されるが、右のような種類の公金の支出の違法又は不当性は、事柄の性質上個々の支出ごとに判断するほかないと考えられるから、右公金の支出についての監査請求においては、各公金の支出を他の支出から区別して特定認識できるように個別的、具体的に摘示することを要するものというべきである。しかるに、右公金の支出については、支出時期が三予算年度にわたり、上告人らが本件監査請求に先立って提起した三件の住民訴訟において主張済みの第一審判決添付の違法支出行為内訳表(一)ないし(三)からすると、支出回数は数百回を超える程度の多数回にのぼるものとみられるにもかかわらず、支出の名目が会議接待費あるいは工事諸費と特定されているだけで、個々の支出についての日時、支出金額、支出先、支出目的等が明らかにされていないのみならず、支出総額も五〇〇〇万円以上という不特定なものであって、前記昭和五九年二月三日付の毎日新聞の記事を併せてみても、本件監査請求において、各公金の支出が他の支出と区別して特定認識できる程度に個別的、具体的に摘示されているものと認めることはできない。したがって、本件監査請求は、請求の特定を欠くものとして不適法というべきである。

以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、右違法があることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官園部逸夫の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官園部逸夫の反対意見は、次のとおりである。

住民訴訟は、地方公共団体の財務会計制度の適性な運用を図るために設けられた民衆訴訟であるが、私は、かねてから、現行の住民訴訟制度には、立法上の不備があり、住民訴訟本来の機能を十分に果たすことができない状況になっていることに、強い関心を抱いている。しかしながら、将来、立法の整備がされるまでは、現行法の法文に忠実な解釈を施すことにより、現行の住民訴訟制度全体の輪郭及び問題点を明確にすることが必要であると考えるものである。このような見地から、本件で問題となっている住民監査請求制度と住民訴訟制度との関係について、私の基本的な見解を述べることとする。

後に述べるとおり、地方自治法(以下「法」という。)の住民監査請求に関する規定を通覧すると、住民監査請求の手続は、行政不服審査法所定の不服申立て(以下「審査請求」という。)の手続等の場合と異なり、簡易かつ略式の方式で、住民が監査委員に対し、監査の請求をすることができることを予定したものと解するのを相当とする。したがって、住民監査請求については、請求の要件を欠くという理由で直ちに却下することなく、可能な限り、請求を受理して、その内容について監査をし、請求の理由の有無について判断した上、法二四二条三項の定める応答措置を行うべきであり、請求の趣旨も理由も全く不明瞭で監査請求書として受理することが困難な場合に限り、これを返戻することができると解するのが、住民監査請求制度の趣旨に沿うものというべきである。そして、もし、住民監査請求について、却下の措置がとられた場合、裁判所としては、住民監査請求が所定の方式で行われているものである限り、右却下を不服として提起された住民訴訟については、法二四二条の二第一項に基づき、「前条第一項の規定による請求をした場合において」、「監査委員が同条第三項の規定による監査(中略)を同条第四項の期間内に行なわないとき」にされた住民訴訟の請求と解すべきであると考える。その理由の詳細は次のとおりである。

多数意見は、住民監査請求の対象は、「一定の具体的な財務会計上の行為又は怠る事実」に限られるとするが、住民訴訟の場合は、法二四二条の二第一項所定の各種の請求としてかなり厳格な訴訟上の法理を適用して争われるものである以上、その対象が一定の具体的な財務会計上の行為又は怠る事実(以下、財務会計上の行為又は怠る事実を「当該行為等」という。)に限定されることは当然であるのに対し、住民監査請求は、地方公共団体の執行機関又は職員について、財務会計上の不正な行為等があることを住民が新聞記事その他何らかの情報により察知し、それが法的な観点から見て違法又は不当の疑いがあると考える場合に、そのような事実があるかどうかについて、監査委員に監査を求める制度である。すなわち、住民監査請求は、住民が監査委員の職権の発動を促すことを認めたものにすぎず、行政機関、職員又は私人等の特定の相手方に対して、具体的に何らかの請求をする当事者適格を住民に認めたものではない。住民監査請求を受けた監査委員は、請求に理由がないと認めるときは、理由を付して請求人に通知し、かつ、これを公表し、請求に理由があると認めるときは、関係の機関又は職員に対する所定の勧告をし、その内容を請求人に通知し、かつ、これを公表しなければならないとされているにすぎないのである(法二四二条三項)。つまり、現行の住民監査請求制度には、審査請求あるいは住民訴訟における請求の棄却又は認容という制度がそもそも存在しないのであり、請求の棄却又は認容の前提となるべき争訟の対象の具体的特定という観念がそもそも存在しないのである。同様に、住民監査請求には、請求要件の欠缺を理由とする却下の制度も定められていない。審査請求の場合には、審査庁又は処分庁による認容、棄却又は却下の意思表示の方法として、裁決又は決定の方式が定められているが、住民監査請求には、そのような方式も定められていないのである。また、一般に住民監査請求前置主義と呼ばれるものも、審査請求前置主義とは、およそその建前を異にしている。すなわち、行政事件訴訟と審査請求とは、行政庁の特定の行為又は不作為を争うという点では、審判機関を異にするほかは全く同一であるから、訴訟と前置手続との間に整合性があり、例えば、法は、審査請求前置主義をとる場合には、「審査請求又は異議申立てに対する裁決又は決定を受けた後でなければ」(二二九条六項、二三一条の三第九項)とか「不服申立てに対する決定を経た後でなければ」(二五六条)という規定の仕方をしているが、住民訴訟と住民監査請求との間には、形式上そのような整合性が全く欠けており、法二四二条の二第一項は、「普通地方公共団体の住民は、前条第一項の規定による請求をした場合において、同条第三項の規定による監査委員の監査の結果(中略)に不服があるとき、」住民訴訟を提起できると規定しているのにとどまるのである。

確かに、多数意見の説示するように、法二四二条一項及び二項には、「当該行為」とか「当該怠る事実」というように、物理的にも時間的にも当該行為等の特定を前提とするかのような文言が見られるが、それは、通常、財務会計上の違法又は不当な状態は特定されることが多いので、そのような規定が置かれているにすぎず、特定されないからといって、住民監査請求の要件を欠くものとして処理しなければならないとする規定は見当たらないのである。また、直接請求の一種である事務監査請求と財務に関する住民争訟というべき住民監査請求との対比から、直ちに、住民監査請求事項の特定の必要性を導くことも困難といわなければならない。むしろ、客観争訟としての住民監査請求における請求の方式及び請求人の手続上の地位を主観争訟としての審査請求の場合と対比すると、住民監査請求事項については厳格な特定を必要とするものでないことが、明らかとなるのである。すなわち、住民監査請求における請求の方式は、その要旨を法施行規則一三条別記所定の様式により、千字以内に記せば足り(法施行令一七二条)、当該行為等を特定するための詳細な記載は求められていないのに対し、審査請求の場合は、審査請求書に請求の趣旨及び理由を記載することが求められる(行政不服審査法一五条一項)。そして、審査請求人は、必要な証拠書類及び証拠物を提出することができ(同二六条)、審査庁に対し、参考人による陳述又は鑑定(同二七条)、書類その他の物件の所持人に対する提出要求(同二八条)、検証(同二九条)を申立てることができ、さらに、処分庁から提出された書類その他の物件の閲覧を求めることができる(同三三条)など、審理の進行とともに、請求対象の特定及びその立証を可能にする手続が法定されている。これに対し、住民監査請求の手続においては、法の規定は、当該行為等を証する書面を添えて、監査委員に、監査を求め、必要な措置を講ずべきことを請求することができること(法二四二条一項)と、監査委員は、請求人に証拠の提出及び陳述の機会を与えなければならないこと(同五項)とを定めるにすぎない。つまり、現行の住民監査請求においては、請求人には、当該行為等を特定するために必要な調査権限が法律上認められていないのみならず、当該行為等に係る行政機関又は職員について事実上調査を実施することも、特段の事情のない限り、困難なことといわなければならない。したがって、監査請求書に添付すべき「証する書面」(法二四二条一項)も、訴訟上の書証あるいは審査請求における証拠書類(行政不服審査法二六条)のような厳密な意味での証拠ではなく、請求人が、当該行為等の違法又は不当を知る端緒となったものであれば足りると解されるのである。以上の見地に立てば、法二四二条の二第一項所定の「第一項の請求に係る違法な行為又は怠る事実」については、訴訟法上の観点から、具体的な特定を原告に要求することができるとの解釈を施すことができるとしても、偶々規定の文言が同一であるという理由により、法二四二条一項所定の当該行為等についても同様に厳格な具体的特定を要求することはできないといわざるを得ないのである。

このように、住民監査請求においては、対象となる当該行為等を特定する基準がないのであるから、対象が特定されていない場合であっても、監査委員としては、特定されない対象について何らかの監査を行い、特定されないためにおよそ監査ができないと判断した場合、あるいは、監査委員として、請求の趣旨に応じた監査の努力をした結果なお請求に理由がないと判断した場合、そのいずれについても理由を付して、書面により請求人に通知するとともに、これを公表すべきである。そして、右のように解することは、地方公共団体の財務会計行為について一般的に専門的知識を欠き、また情報への接近手段を欠いている住民に対し、監査委員の職権の発動を促すべく監査請求をすることを認めている制度の趣旨に沿うものといわなければならない。

右に述べたとおり、住民監査請求において当該行為等について特定がないということは、当該請求の門戸を閉ざす理由にはならないというべきであるが、住民監査請求制度に関する立法上の不備あるいは法解釈の未成熟により、監査請求の却下ということが事実上行われることもありうる。しかし、裁判所としては、右のような却下の措置を不服として提起された住民訴訟について、監査請求を経ていないとかあるいは監査請求をしていないと見て、請求人の住民訴訟を却下することは許されないと解するのが妥当である。すなわち、法二四二条の二第一項によれば、住民は、住民監査請求をした場合において、監査委員の監査の結果に不服があるときは、住民訴訟を提起できると規定されているが、監査の結果の内容としては、法二四二条三項所定のとおり、請求に理由があるか又は理由がないかの二種類があるのみであるから、監査委員が、住民監査請求に対し、法の予定しない却下の措置をとった場合には、監査請求をした者であっても、監査の結果にまで至らないために、法形式上は、これを不服として住民訴訟を提起することができない状態に置かれるという不合理な結果を生ずることになる。しかし、これは、法の全く予想しない事態であるといわざるを得ない。したがって、監査委員から右のような措置を受けた住民が、これを不服として、住民訴訟を提起して来た場合には、法律上可能な救済措置として、右の状態について、法二四二条の二第一項所定の「監査委員が同条第三項の規定による監査(中略)を同条第四項の期間内に行なわないとき」に当たると解して、住民訴訟本来の訴訟要件を具備している限り、当該住民訴訟を適法なものとし、右住民訴訟の請求の当否について判断すべきである。

これを本件について見ると、原審の適法に確定したところによれば、上告人らは、昭和五九年二月三日付の毎日新聞の記事により、大阪府水道部において公金の違法な支出があったことを知ったとして、違法な公金の支出を証する書面として、右新聞の記事を添付して、多数意見が引用するとおりの記載をした監査請求書を提出したというのである。さきに説示したとおり、現行の住民監査請求制度においては、この程度の主張を伴った監査請求書が提出された場合には、監査委員として、これを受理して監査を行うべきことが予定されているのであって、監査請求書に少なくとも右に記載された程度の記載があれば、適法な住民監査請求があったとしなければならないのである。

これと異なり、本件住民監査請求を不適法であるとし、本件訴えを適法な住民監査請求を経ていないとして却下した第一審判決を支持した原判決には、法二四二条及び二四二条の二の解釈適用を誤った違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。本件については、第一審判決を取り消して、これを大阪地方裁判所に差し戻すべきである。

(裁判長裁判官 安岡滿彦 裁判官 坂上壽夫 裁判官 貞家克己 裁判官 園部逸夫)

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